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2008年5月

2008年5月25日 (日)

アイヌ民族は先住民族

チベット問題などに絡み、中国の民族問題についていろいろな記事が書かれた。では、日本の民族問題についてはどうなんだろうか?という話題はほとんど見ることはなかった。現在も神話のようなうぬぼれた偽装歴史が幅をきかせているので、他民族を侵略したなどという歴史事実はタブーとして知らない人がほとんどだろう。 河氏のブログ 河信基の深読み のエントリー「アイヌを否定しなから、チベットを非難する偽善」http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/31730036.html に絡めて、以前朝日新聞に載った「アイヌ民族を先住民族と認めよ」というアイヌの主張をコピペした。(無断ですので、後日部分引用になると思います)

私はこの提言に賛成だ。

「アイヌ民族」先住民族と認め、土地返還を 萱野志朗 萱野茂二風谷アイヌ資料館館長

 今年は世界の先住民族にとって歴史的な年だった。
 9月13日、国連総会において「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたのである。これは先住民族を「国際法の主体」として認め、自己決定権や返還・賠償・補償権を規定した人権文書だ。
 日本も賛成票を投じた。だが、日本政府は我々アイヌ民族を「先住民族」とは認めていない。先住民族に関する定義はいまだ確立されておらず、アイヌ民族が日本における先住民族か否かを判断できないというのが理由という。

 世界の流れは別

 しかし、これは世界の趨勢や国内の実態に反している。9月14日付けの朝日新聞「私の視点」欄に、北海道ウタリ協会の加藤忠理事長による「政府は先住民族と認めよ」という主張が掲載された。私も理事長の主張に同感だ。
 「先住民族」という概念はきわめて政治的なものである。単に、ある地域に居住していた時期が早いか遅いかという時間的な後先ではない。世界各地の先住民族を取り巻く問題に詳しい上村英明・恵泉女学園大教授(市民外交センター代表)はこう定義する。「近代国家が成立する時点において、合意なしに国家に統合され、現在被支配的立場におかれ、かつ(固有民族としての)人権が十分補償されていない人々」
 これを日本にあてはめてみよう。近代国家の成立は明治政府の発足にあたる。アイヌ民族は1871(明治4)年の太政官布告によって一方的に日本に国籍が与えられた。21世紀の今日においても、就職や結婚で差別が存在している。現在アイヌ民族出身の国会議員はいない。為政者側にアイヌ民族の意志が十分に伝わっているとはいえないのが現状だ。すなわち「明治政府はアイヌ民族をその自由な意志によることなく一方的に統合し、現在被支配者的立場におき、なおかつ人権を十分に補償していない。」といえよう。アイヌ民族は日本における先住民族なのである。
 判決もある。1997年3月27日、札幌地裁で二風谷ダム訴訟の判決が言い渡され、「アイヌの人々は・・・『先住民族』に該当するというべきである」と明記された。
 アイヌの現状について、外国メディアや市民団体から「なぜ日本では先住民族として認められないのか」と問われることも少なくない。
 アイヌ民族は3万人とも10万人ともいわれる。誰がアイヌなのか。血なのか文化なのか。「自分はアイヌだ」と自覚し、そのコミュニティーから認められたものがアイヌなのである。民族とはアイデンティティーの問題なのだ。
 先住民族に認められる権利には、土地に関するもの、外交を含む自治に関するもの、外交を含む自治に関するもの、地下資源や埋蔵物に関するもの、言語使用に関するものなどがある。私の父・萱野茂は「和人に土地を売った覚えも貸した覚えもない。借りたのであれば借用証をみせろ」とよく言っていた。本稿では土地について論じよう。

 世界の先住民族を見ると1990年以降、一部とはいえ返還されているケースがいくつもある。カナダではイヌイットの準州ができたし、オーストラリアではアボリジニーに返還を命じる判決が出た。国際的に見て決して特異なことではないはずだ。
 北海道を全部返せなどというつもりはない。すでに何世代にもわたって和人が住んでいる私有地まで戻すべきだというつもりもない。

 聖地も国所有?

 北海道は約884万ヘクタール。このうち約半分の414万ヘクタールが国有地だ。道有地、市町村所有の公有地も多い。この中の一部でもいい、返還して欲しい。歴史的経緯を考えた場合、特に政府に求めたい。
 我々の聖地である山や谷も、いまはその大半が国有地だ。もともとは我々の先祖が住んでいた土地である。アイヌ民族には土地所有の観念がなかった。明治期に、外から来た人々が一方的に法律を制定し「所有」を決めたのである。その結果、神々に祈る行事を行なおうにも、政府の許可を得なければできない、などということまで起きた。
 アイヌ民族を「先住民族」と認め、国有地の一部を返還する。国民が理解し、政府が判断すれば可能なはずだ。返還されたあとも、北海道の道民や来道者が自由に通行や利用ができるものとしたい。
 私は活動家ではない。「アイヌ語ペンクラブ」の一会員であり、こうして書くことで訴えている。
 先住民族を取り巻く問題にどう向き合うかは、法治国家ニッポンの成熟度を測るバロメーターになるに違いない。

朝日新聞 2007.12.29 朝刊 「異見 新言」より全文

2008年5月11日 (日)

週刊金曜日のタブー 「佐藤優の罠」

週刊金曜日2008.5.2 『佐高信の現代を読む』

 2005年6月10日号の本誌「読んではいけない」欄で書いたこの本を挙げて、驚く読者もいるかもしれない。しかし、私は「読み方注意!」的に取り上げたのであり、官僚が動かす「国家」がどういう生理と病理を持つかを描いたこの本は10年に1冊出るかどうかと言う貴重なドキュメントである。私はこれについて、”外務省のラスプーチン”と呼ばれた著者が守ったのは「国益」ではなく、「省益」だったのではないかと指摘した。それは客観的に正しいというのが著者からの返事で、官僚は省益と国益が一致するとの擬制において行動するからであり、それをチェックするのは議会とマスメディアだという。
 それにしても、私が前記の欄でこの本を俎上にのせた時、著者のところに、「『金曜日』と何かトラブルがあったのか」と尋ねてきた友人がいたというのは嘆かわしい。すべて賛成。すべて否定でなければ気がすまない人たちにこそ、この本をすすめたい。

 
 あらあら、自らの変節の正当化に必死ですね。(笑)
 「おまえが守ったのは国益ではなく省益だろ」と批判したら、佐藤に「官僚の活動は省益であり、国益であるに決まっています」と言われ、「あぁ、こりゃ一本取られたね」と佐藤優の国家論に感心したということですか(笑) ムネオ親分の力を笠に着たコンプレックス丸出しのノンキャリアが外務省で自分の思い通りやってきたことを否定するわけがない。そもそも「国益」だの「省益」だの言えば、そう斬り返されるに決まっている。そんな独善的な国家論に感心してどうする?佐高さん。
 結局、その外務省からムネオと一緒に追放されたということは、「省益」にも「国益」にもなっていなかったということになる。佐藤優の発言は、所詮引かれ者の小唄でしかない。佐藤優は、鈴木宗男とともに自らにかけられた疑惑を「国策捜査」と言い切るが、そんな偉そうなものではないだろ。疑惑のデパート鈴木宗男とその舎弟がパクられただけだ。(笑)自分をことさら大きく見せて「国策捜査」を主張するために論壇に協力者を作っているのは、ミエミエだ。こいつらの大言壮語を真に受けるようじゃ、疑似科学やインチキ健康法にもまんまと騙されているんだろう。週刊金曜日といえば、良い記事も多いけど環境関連などはトンデモな記事も多いからね。
ここまではどうでもいい話。

 <それにしても、私が前記の欄でこの本を俎上にのせた時、著者のところに、「『金曜日』と何かトラブルがあったのか」と尋ねてきた友人がいたというのは嘆かわしい。>

一体なにが嘆かわしいのだろう?

 確かに、わざわざ週刊金曜日とトラブルでもあったのかと心配するのも「変」なのだが、その心配する友人がそんなに嘆かわしいのか? 佐高が嘆かわしいと言ったのは、「読んではいけない」で佐藤優の著書を批判したことに言い訳するためではないのか?

 それにしてもこの不自然さはなんだろう?
 この友人の話自体が佐高を懐柔するための佐藤がよくやる作り話ではないのか。佐高はこのインチキくさいエピソードを聞いてすっかり嵌められたと思う。いや、佐高は自分の書評を打ち消すために、この作り話にのったのかもしれない。

「すべて賛成。すべて否定でなければ気がすまない人たちにこそ、この本をすすめたい。」

これが佐高が言いたかったことなのだろう。週刊金曜日は、佐藤優の連載に対して読者からの批判や金光翔氏の論文にも逃げてきた。佐高の言葉は、これらの批判に対する回答なのだろう。
 だけど、「国策捜査」に値するだけの人物に見せるための佐藤の発言は、その場その場で言い換えているが排外主義的な国家主義であることは明らか。指摘されると、外務官僚はそういうものだとうそぶくが、なら、外務官僚じゃなきゃただの独善的な国家主義者でしかない。だから、追放されても外務官僚の地位にしがみついているんだろう。

 佐高氏が自分は「すべて賛成、すべて否定」でないというなら、週刊金曜日誌上で佐藤優の批判記事、例えば金光翔氏の論文やその論文を巡る週刊新潮と岩波書店、佐藤優の言論事件を堂々と展開するべきだろう。

佐高は田原総一朗を批判しているが、田原だって良いところもある。全否定しちゃダメだ(笑)
と、言うか佐高自身が田原化しているんじゃないのか。

『読んではいけない』佐高信 ー著者が守ったのは外務省の利益なりー
『国家の罠』 佐藤優

極めて評判の高いこの本を挙げて驚く人も多いだろう。驚くどころか反発する人も少なくないに違いない。
 しかし、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた著者が守ったのは果たして「国益」だったのだろうか。
 この本に”好敵手”的に登場する西村(尚芳)という検事に、「僕や東郷さんや鈴木さんが潰れても田中(眞紀子外相)を追い出しただけでも国益ですよ」と著者が語る場面がある。
 ロシア通の東郷和彦という上司や鈴木宗男が潰れても、田中を追い出しただけでもよかったというわけだが、それは著者の考える国益であり、実は外務省の省益に過ぎないのではないか。
 私は、田中を、外務省の機密費疑惑の蓋をもう一度開けようとした人として評価している。開けられて困るのは、”影の外相と呼ばれてそれにフタをした福田康夫(当時の官房長官)と外務官僚であり、彼らから集中的に眞紀子スキャンダルがマスコミに流された。
 そして結局、小泉純一郎は田中のクビを切り、機密費疑惑のフタをもう一度締め直したのである。
 不思議なことに、この本には機密費疑惑のことがまったく出てこない。それを追求することは、著者によれば国益(ならぬ省益)に反することなのだろう。
 小泉政権の誕生により、日本人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった、と著者は書く。しかし、それは小泉だけの責任ではなく、憲法の掲げる平和主義に基づく外交を積極的に展開してこなかった外務官僚の責任でもある。
 国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがり、そのことは必然的に核を保有することにつながるのを隠して大国主義をあおったのも彼らの責任だろう。
 著者はやはり、外務官僚であり、簡単に省益と国益をイコールで結んでいる。
 外務省は田中外相が乗り込むまでは”ムネオ省”だった。それを正常と言い切る著者のこの本は、外務官僚の怠惰と腐敗、もしくは無能と卑屈を覆い隠す働きをしてしまうのではないかと憂慮する。

この書評のどこがいけないんだろう。よっぽど佐藤優の「ヨイショ」は強力なのか?う~ん、ラスプーチン恐るべし。頭でっかち殺しだな。(笑)

そのうち、小林よしのりも(佐高は小林に「社会の母親」と言われ、「意表をつかれた」とまんざらでもないようだ)いずれ週刊金曜日の連載に登場し、従軍慰安婦問題や歴史認識問題を声高に主張するのは後ろ向きだという記事も出てきそうだ。

2008年5月 4日 (日)

続X12 週刊新潮に援護される岩波書店『世界』 佐藤優という泥沼

金光翔氏のブログ"私にも話させて"(http://watashinim.exblog.jp/)に新しいエントリーが追加された。


佐藤優・安田好弘弁護士・『インパクション』編集長による会合の内容について②

 記事は、まず佐藤優・安田好弘弁護士と『インパクション』編集長との会合内容について言及している。
 佐藤はこれまで自分に対する批判的な主張を見つけると、出版社を使って圧力をかけ封じ込めようとしてきた。金光翔氏の論文「<佐藤優現象>批判」に対しても週刊新潮と金氏が所属する岩波書店を通じて個人攻撃を加え、さらに論文掲載誌『インパクション』に対しても、常連執筆者の人権派弁護士として有名な(笑)安田好弘弁護士とともに『インパクション』編集長に対し会合を申し込んできた。当然金光翔氏の論文についての圧力である。
 週刊新潮の個人攻撃記事と岩波書店の嫌がらせ、『インパクション』編集長に対する話し合いは、佐藤優の言論封殺行為である。もちろん佐藤は直接関与していないよう、週刊新潮では被害者を装っているが、このエントリーの前半では佐藤の関与があったことを論証している。

 言論に対して言論で戦うこともせず、卑怯にも出版社に圧力をかける。これが佐藤優の実力なのだ。このような言論人として風上にも置けない輩の悪質な行為がまったく問題とされていない。表現・言論の自由を訴えてきた論壇誌もこの問題を一切無視している。それは当然なのだろう。彼らこそ佐藤優の共犯者だから。
 そもそも金光翔氏の論文「<佐藤優現象>批判」は、このつまらん国家主義者佐藤優と出版不況で売れっ子作家が欲しい出版社の談合により誘導されるリベラル左派の変質を問題としている。「佐藤優現象」はリベラル・左派論壇のタブーで、論文はタブーに踏み込んだものだ。

そしてエントリー後半は、論文を補強するように佐藤と佐藤と協調する者達の言説を一つ一つ検証している。圧倒的な論理性で<佐藤優現象>の薄っぺらい関係性を暴き出している。
ただちょっと気になるのは、ここまで素材として佐藤を相手にしていると、佐藤がそれほどの者だと勘違いされるおそれがあることだろう。(笑)

佐藤の言説は、難解な言葉と権威者からの引用に溢れている。たいした考えもなく行き当たりばったりで言葉を吐きまくる。更に検証不能な体験談などで埋め尽くされている。だから多弁な割に中身は陳腐で平凡。対談相手も見かけだけの佐藤に似たバカだからぼろが出ない。それを編集者や取り巻き達が隠したり賞賛したりして成り立っているのだ。

少し前に書かれたこっちも面白いので、まだ読んでいない人は是非読んで欲しい。

「談合」としての<佐藤優現象>

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