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2009年5月

2009年5月 4日 (月)

『週刊金曜日』とうとう<佐藤優現象>末期症状で右側レーンを逆走行

このブログの以前の記事、「『週刊金曜日』編集長、極右TVに出演」「『週刊金曜日』北村編集長の天皇制擁護論」で極右TVチャンネル「チャンネル桜」での北村編集長の天皇制擁護(容認)論を批判した。そして「右翼だけに自身の天皇制擁護の考えを説明するのではなく、天皇制反対論者がほとんどと思われる読者にきちんと説明しなければいけないだろう。」と書いたが、『週刊金曜日』(2009.5.1号)北村編集長の編集長後記(ネット版 コラム「一筆不乱」)で自身の天皇制擁護論を展開した。

「親米の民族派」という大いなる矛盾」

http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/

北村編集長の天皇制擁護論は、天皇教信者、極右の古典的な「皇国史観」そのもので、彼の主な主張は「天皇制が中心となり国家が成立する」、「天皇制は日本古来の伝統と文化」、「天皇を戴いた日本は四民平等」など、現代では無知蒙昧の右翼と口からでまかせ佐藤優(大事な人を忘れてました。(^^;))でなければとても本気で思っているものなどいない。ましてや、『週刊金曜日』の読者がこれを受け入れるとは思えないはず(?)

この北村の主張に対する私の批判は、以前の記事 に書いている。特に、以下に再掲示する辺見庸氏の発言には全てが含まれる。

 私は憲法擁護論者で、とりわけ九条については一歩も譲れないという人間ではあります。でも反面、すでに憲法は相当程度壊されていると認識しています。が、その中で、憲法の天皇条項だけは揺るぎない。これがどうして憲法の中心軸なのか。憲法第一章に対する根本の問いというものを、左翼をふくめて出してこなかった。
・・・
天皇制をなくしてこの国はやっていけないのかーーこれは、マスコミ、思想界が故意にさぼり、自己規制してきた重大テーマです。
・・・
我々の個、自我が発する論理のプロセスには、天皇制という見えない非言語系の縛りと心的規制が常に災いしている。それが世間というものをつくっていく。そのプロセスに共同的幻想として天皇制がある。そこから見えない身分制も派生する。とりわけ敗戦国であるこの国は天皇制を倫理的な土台として利用しながら朝鮮を支配し、中国侵略をしてきたことに対する歴史的な反省を、アカデミズムの世界もマスメディアの世界も怠ってきた。天皇制については共産党も社会党も同様に熾烈な議論を避けてきたと思いますよ。そこの戦後民主主義の虚妄の根源があると思いますね。

 付け加えると、問題の編集長後記が載った『週刊金曜日』(2009.5.1) の特集「天皇制」の記事は、裕仁の戦争責任には言及しているが、「天皇制」そのものの原罪にはまったく触れていない。

だから、天皇制が台湾、朝鮮、中国、東南アジアの国々を侵略し他民族を植民地支配したことなどまったく言及していない。

これは北村編集長のコラムの支離滅裂な天皇制擁護論がぎりぎりの線で成り立たせるために意図したものだと思われる。
「天皇制擁護」は週刊金曜日編集部の総意ということなのだろう。

 注目するのは、この北村編集長のコラムのタイトルが「「親米の民族派」という大いなる矛盾」という点だ。 
 この天皇制について書かれた支離滅裂なコラムで批判されているのは、天皇制ではなく米国と親米派右翼なのだ。日本の米国属国化を批判しているわけだが、そこには裕仁に全ての責任を負わせて切り離し、天皇制そのものは守るべき「日本の古来からの伝統と文化」という屈折した天皇制擁護論がある。*1 
 北村編集長の民族主義ナショナリストという立ち位置を表明したわけだが、当然リベラル・左派の読者に容認されると確信しているのだろう。この北村にとって民族主義ナショナリズムは、左右の壁のない共通した立場なのだ。しかし、現在でも続く日本人のアジア蔑視感、排外ナショナリズムは、このような皇国史観に基づいて植え付けられた日本人の優越民族感によるものだ。*2

 これはまさに<佐藤優現象>そのものである。
左も右も民族主義・国家主義の独善的視座でしか見えなくなっている。*3
敗戦前の日本人に回帰したわけだ。

*1) 北村は

 実は、反天皇制を掲げる側にとってこの事態は厄介である。昭和天皇がすべての戦争責任を負うことで、「日本の伝統と文化を継承する皇室制度」は無傷ですむからだ。」

と、訳のわからないことを言っているが、どうも本気でそう思っているらしく、そうなると昭和天皇に全てに戦争責任を負わせ「日本の伝統と文化〜」を守る立場の発言をしている北村は、反天皇制側の敵ということになる。

*2) 週刊金曜日編集者も優越民族史観があるようだ。

『週刊金曜日』(2009.5.1) P.10

だがそこでは、他国に比して「誇るべき歴史と伝統」を有しているはずの国家が、一方で「思いやり予算」や沖縄の基地問題に・・・

皮肉だろうと思ったが、どうやらそうではないようだ。

*3) 右翼だけど赤尾敏氏が良いことを言っている。(笑)

「今の右翼は口ばっかでね、いい加減なことばっかやってんだよ。民族主義なんて言葉だってそうだ。民族主義なんてものはいかんよ、君! そんなことで世 界が平和になるか。キリストでも釈迦でも孔子でも、民族の道は説いていないよ。人類普遍の道を説いているんだ。共産主義も世界的だよ。民族を超えてるん だ。民族主義なんて、バカの言うことだ。日本民族だけがよければいいというのは、民族利己主義じゃないか。宇宙を支配する神の道があるんだ。天の理法は世 界共通だから、それで平和をはからにゃいかん」
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/right1.htm

おまけ

 実は、反天皇制を掲げる側にとってこの事態は厄介である。昭和天皇がすべての戦争責任を負うことで、「日本の伝統と文化を継承する皇室制度」は無傷ですむからだ。

 意味がわからない。なぜ昭和天皇が戦争責任を被ると、皇室制度が無傷で済むのか。それでは、これまで昭和天皇の戦争責任を回避してきたのは何だったのだ。昭和天皇の戦争責任を追及してきた反天皇制側が困ることは何もない。北村は願望を語っている。

皇室制度そのものは、日本の伝統と文化じゃない。皇族だけが継承してきた閉鎖した極私的伝統。

 しかし、ここに「米国」という要素を持ち込むと、天皇制は別の矛盾にさらされる。本誌今週号で特集したように、政治家・昭和天皇が事実上、日本の米国属国化を認めたことは、最近の研究から明らかである。そして、米国の支配下におかれることで、当然のことながら「日本古来の伝統と文化」は大きく揺らいだ。

 「日本古来の伝統と文化」ってなにさ。日本国が成立した時に、日本古来の伝統と文化は西洋文化を受け入れることで葬り去ったのではないか。天皇制や北村の言う「日本古来の伝統と文化」は、近代に創られたフィクションだ。そもそも日本成立以来、欧米の配下だ。欧米に逆らったのは一時的なもの。結局元の鞘に収まっただけ。

 評価は別にして、「天皇を戴いた日本は四民平等である」というのが皇室制の柱の一つだろう。どう考えても、米国のような優勝劣敗思想の国とは相容れな い。むろん、新自由主義の導入など、到底、許されるものではないはずだ。「情けは人のためならず」が、本来の意味とは真逆に解釈される社会、それがアメリ カナイズされた今の日本である。

極右の戯言。天皇制自体が身分制度。四民平等とは身分間での通婚や職業選択の自由などをいうことで、皇族、華族は存在している。本当の平等ではない。そして天皇の名で侵略した他国の民族は、皇民化を強制され最下層階級に置かれ、人以下の扱い、奴隷の如く扱われたことはどうなんだ。

平等思想は米国からの輸入だ。米国の優勝劣敗思想は身分階層がないことの証でもある。もちろん米国に人種差別はあるのだが。

「(天皇制ならば)新自由主義の導入など、到底、許されるものではない」などと言うが、天皇制帝国資本主義の日本社会には、裸の資本主義が跋扈していたではないか。一方には途方もない富を独占する財閥一族と一方には子供を女郎部屋に売る多数の貧農が当たり前に存在する社会だったではないか。

天皇制を美化するあまり、このようなデタラメを言ってはいけない。

2009年5月 2日 (土)

トンデモ佐藤優のイカサマ言説 週刊金曜日編集者のレポートから

週刊金曜日に佐藤優の記事が載って以来、疑似科学的としか言いようのない佐藤のデタラメ言説を何度も批判してきた。それでも佐藤は「優れた思想家」、「知の怪物」、「知の超人」だのと持ち上げ続けられている。持ち上げる側が佐藤と同類のインチキ知識人なのだから、詐欺的互恵関係と言っていいだろう。

佐藤が中心になって活動している「神保町フォーラム」の勉強会について、佐藤を信奉する週刊金曜日編集員の伊田浩之の文章がある。
http://www.forum-j.com/report/20070627.html

日付      6月27日 (水) 18:30~
タイトル     第18回 「メディア・マインドコントロール」
講演     伊東乾(作曲家・指揮者)
対談     伊東乾VS佐藤優

人を騙す(洗脳する)なら音声動画メディアの活用が有効である。それは、「情動は理性に先立って意思を決定する。音声動画メディアは悟性に先立って人を調律する」からだ。100万人単位の人間に同時に情動を激昂させうるものが音声動画マスメディアで、90年代以降の例としては3カ月で120万人が「なた」で虐殺されたルワンダ内戦がある。

「情動は理性に先立って意思を決定する。音声動画メディアは悟性に先立って人を調律する」
バカげている。情動が常に理性に先立って意志を決定するなら、人はみな獣のままだ。音声動画メディアが情動だけに直接作用するというのも、ばかばかしい飛躍だ。メディアがどんな形態であろうが情報を認識し処理する過程は同じだ。音声動画メディアが大衆に影響しやすいのは、情報を言語化する過程を省くことが出来るからで、言語能力を必要とせずに誰にでも情報を伝達することが出来るうえ、視覚情報が中心の人類に情報がストレートにインプットできるからだ。ルワンダの虐殺の例などなんの根拠にもならない。

 新聞や雑誌などの活字メディアは受け手が能動的に読み解かなければメッセージが伝わらない「能動的メディア」。テレビやラジオなどは受け手の悟性が「気づく」前に人間の情動や感情を刺激して「好き」「嫌い」などの反応を起こさせるのが特徴だ。

何の根拠もない。そもそも「能動的に読み解く」という表現があいまいだ。「活字メディア」は「能動的に読み解くもの」だから「活字メディア」は「悟性」が働くという命題は単なる循環論法でしかない。「音声動画メディア」だって読み解く。イメージしやすいかどうかの違いだけで、どちらも情動を刺激すれば、悟性が働く。「好き」「嫌い」にだって理由はある。人間は獣じゃない。

ファシズムと親和性が高く、映画ではナチスの『民族の祭典』、スターリニズムの『戦艦ポチョムキン』などが一例。金正日が映画好きなことも当然だろう。オウム真理教も、カセットテープやVHSビデオなどのチープな受動的メディアを下宿で繰り返し使わせ刷り込んでいた。
 

ファシズムやファシストでなくても映画は馴染まれているし利用されている。ファシズムが映画を利用したといって、大衆への情報伝達という一般的、汎用的なメディアの特性を利用したに過ぎない。それをもって「ファシズムと親和性が高い」というのはあやまり。

 映像で恐怖情動に駆られると、悟性を司る脳の部分(前頭前野連合野)に酸素を含んだ血液が循環しなくなる虚血状態になる。これは、実験によって確かめられている。その直後に写る映像に対して、悟性の作動を抑制して反射的動物的な行動反応になる。

 たとえば、イラク開戦を米国民の8割が賛成したのも音声動画メディアの影響だ。またベトナム戦争当時は兵士の発砲率が低かったことから、米軍はいま人の形をしたものを見たら反射的に引き金を引く、反射調教の訓練を繰り返し兵士にやらせている。イラクなどで、兵士の発砲率と生還率が上昇し、子どもなど非戦闘員に対する誤射率が激増しているのはこのためだ。

 「映像で恐怖情動に駆られると」 映像じゃなくても恐怖情動(パニックのことだろう)になれば、人間は生存のために本能的反射的な反応になるのは常識。イラク開戦で米国民が賛成したのは音声動画メディア(映像というべきところをすり替えている)のせいではない。メディアが流した情報操作のせいだ。何もかも音声動画メディアに結びつけるのは悪質。「反射的に引き金を引く訓練」は、何が言いたいのか意味不明。

 さて、イスラムの処刑法には、民衆が石を投げて殺す石打ち刑がある。民衆に手を下させる石打ち刑は、一方で民衆自身を加害者にするとともに、そのことで自分が石打ち刑にさせられたらという恐怖感でもっとも強く民衆自身を縛る効果がある。

根拠なし。

 しかも裁判員制度では、パワーポイントの導入が予定されている。裁判員に選ばれた人たちの負担軽減のためと説明されているが、受動メディアでは気づきに先立って意志を決定するし、司法の素人は重罰を選びやすい。自覚する前に、証拠提示の段階で被告人に「犯人」「悪人」というイメージをワイドショーよろしく植え付けられる。

パワーポイントなどのプレゼンテーションソフトを使っても使わなくても、「司法の素人」の判断の問題は同じだろう。

裁判員制度とは、国民の国民による国民をターゲットとした予防法制という名の恐怖政治になる。

「受動メディア」の問題と言っているのに、それがなぜ「裁判員制度」になるんだ?
結局「受動メディア」は関係ないということだ。

 音声動画メディアによるマインドコントロールは(1)しない(2)されない(3)させない――の防止原則を確立することが必要だ。第3の「させない」には、共同体の「共通善」の感覚が重要だが、近代以後の日本の教育制度には決定的に脱落している。

 あほか。音声動画メディアに限らず、マインドコントロールなどさせてはいけないのは、あたりまえの話。

 一事が万事この調子。カルト宗教となんら変らない。以前、コメントに「佐藤はなんだか大川隆法じみてきましたね(笑)。」というのがあった。http://electric-heel.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/x17-f7dc.html
電車の中吊り広告をたまたま見たら、全く同じだった。(笑) http://www.the-liberty.com/

 佐藤優のトンデモ言説を無批判に受容され、賞賛されるのは日本の論壇が痴呆だということで、それは昨今そうなったというものでもなく、元々そうだったのだからどうと言うことでもない。
だけれども、大きな問題は、<佐藤優現象>。
 トンデモ佐藤が意図して麻痺性のゴミ言説とともに流す国家主義、排外ナショナリズム、そして言論封殺行為といったことに対して、どの出版物からも批判されなくなっていることだ。例えば「皇軍慰安婦」を「売春婦」と決めつけ、北朝鮮に対する見せしめとして在日朝鮮人への弾圧を主張し、天皇制護持の為に護憲派を名乗り、軍事大国を主張している。

佐藤の言説を受け入れることはリベラル・左派の転向そのものである。それだけではなく、佐藤の言論封殺を知りながら見逃しているのは、言論人として犯罪に荷担したのも同じだ。

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