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2012年8月

2012年8月27日 (月)

韓国人よ、俺は君たちの理解者大日本朝日新聞主筆若宮啓文様だ

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〈主筆のメモ帳〉韓国へ、天皇のお言葉をさかのぼれば  

■主筆 若宮啓文

<略>

■昭和天皇の「遺憾」に始まる

 さて、天皇の謝罪が初めて日韓外交の焦点になったのは昭和天皇が健在だった1984年9月、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の来日時だった。韓国から初の大統領公式訪問とあって、かつての支配者だった天皇との出会いが注目の的になった。

 何らかの謝罪の言葉をもらって区切りをつけたいという韓国の希望はわかるが、日本国憲法のもと天皇は政治的言動を控えなければならない。そのバランスに配慮して、どんなお言葉を用意するか、中曽根内閣は頭をひねった。

 そのとき私は外務省の担当で、まさにこれを追っていたが、大統領来日の直前、同僚たちと欠かせないキーワードをつかんだ。65年に国交正常化のため訪韓 した椎名悦三郎外相がソウルの空港で読み上げた声明にある「遺憾」の二文字だ。大統領が「あす来日」という日の朝刊で、思い切って「天皇のお言葉『遺憾』 を表明へ」と報じた。

 「こんなことを先に書いて大丈夫かな」と、はらはらするうちに、いよいよ大統領を迎えた宮中晩餐(ばんさん)会。昭和天皇は歓迎の辞で「今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います」と述べた。

 我々は胸をなでおろしたが、当時としては精いっぱいの表現でも、いまの基準で考えれば中途半端な謝罪ではあった。「不幸な過去」をもたらした主語がない し、「遺憾」とは「残念」という意味で、怒りを表明するときにも使える言葉だ。全大統領はその席で「我が国民とともに厳粛な気持ちで傾聴しました」と応じ たが、韓国メディアには「物足りない」「あいまいだ」という不満の評が載ったものだ。

■「痛惜の念」のてんまつ

 それから6年後、平成になって海部政権のもと盧泰愚(ノ・テウ)大統領を迎えたのは、いまの天皇陛下だった。晩餐会では「我が国によってもたらされたこ の不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と心を込める。不幸な時期の責任を明確にしたうえ、韓国民の苦しみに 対して「痛惜の念」を表したのがミソだった。

 今回、李大統領が不満をぶつけた発言は、この「痛惜の念」である。だが、これは韓国の強い要望も受けて、昭和天皇より一歩進んだ表現を考え抜いた末の言葉だった。

<略>

■韓国にも「言い過ぎ」の声

 「痛惜の念」に韓国メディアの反応はいま一つだったが、盧大統領は記者会見で「私も、(韓国)国民も韓日の不幸な歴史について、これで一応決着がついたと思うであろうと確信している」と答えていた。

 天皇はその後も大統領を迎えるたびに過去にふれている。94年には金泳三(キム・ヨンサム)大統領に「深い悲しみの気持ち」を表し、「反省」の言葉も盛 り込んだ。98年には金大中(キム・デジュン)大統領に「深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております」という具合だ。

 そもそも国家を代表しての謝罪は首相がしてきており、これとは別にガラス細工のように積み上げられてきたのが天皇のお言葉だ。それを知ってか知らずか、 ちゃぶ台をひっくり返すような発言をした李大統領。韓国政府の関係者に聞けば、「独島訪問」の興奮冷めやらぬうち、ある集会で出た質問に、つい調子を合わ せて口が滑ってしまったらしい。

 韓国には何かと思い入れが強い天皇ご夫妻だ。今度の一件に心中いかばかりかと思うが、韓国の私の知人たちからは「大統領も言い過ぎた」「もう、天皇を招けなくなったのでは」と、心を痛める声が聞こえてくる。

http://www.asahi.com/news/intro/TKY201208260127.html?id1=2&id2=cabcaich

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韓国が日本の天皇に謝罪のお言葉を”もらう”とか、「もう、天皇を招けなくなったのでは」と心を痛める声だとか、韓国人にとって日本の天皇がどれだけ偉いのか若宮啓文はどこまでも上から目線で説く。 わざわざ「謝罪してやる」という傲慢な気持ちがありあり。

天皇の臣民や軍隊によって残虐に殺され、略奪され、強姦された何百万人の他民族の人々に向けて天皇の「お言葉」をありがたくいただけとは、どこまで倒錯しているんだ。

そんな未だに植民地支配者気分が抜けない若宮啓文に奴隷根性の韓国の友人。ここまでくると民族病。

同じような奴に石丸次郎がいたな、それに岩波書店の中もこんな感じなんだろう。

2012年8月26日 (日)

神話国家日本

受け入れたくないだろうが、今日本の領土問題は近代日本の原罪によってもたらされたもの。日本の歴史認識がいつまでも自己中心的ファンタジーの中に逃げ込んでいる限り解決することはない。
竹島も尖閣も明治に「無主地であるから」と一方的に島根県、沖縄に編入したものだが、日本政府はどちらも日本の「固有の領土」と主張する。
「無主地」と「固有の領土」は矛盾していて同時に成り立たないのは明白。いつから固有の領土になったのか?

2012年8月23日 (木)

尖閣諸島 日本 - 中国 - 台湾 - 米国

米国は東京裁判、講和条約で日本に有利になるように立ち回ったが、それが領土問題で大きなしこりになり巻き込まれることを恐れて、以後領土問題に関わらないと決めていると言われているが。

尖閣諸島の領有権問題は、米国が沖縄と共に尖閣諸島を日本に返還したことが元になっている。
日本と中国、台湾との間で尖閣諸島の領有権問題がさらに進めば、台湾と中国が協調して、対日国共合作となる可能性は高い。
それは中国にとって喜ばしいことだが、米国にとっては是が非でも防ぎたいはずだ。
日本は中国に対して尖閣諸島は日米安保条約の適用だと言っているが、台湾が絡めばそんな安易な期待はただのこけおどしにもならない。
米国は陰で日本と台湾の仲介をするとしても、台湾の国民が諦めるとは思えない。日本は台湾に対して、大きな妥協をすることになるかもしれない。

竹島ー尖閣諸島ー司馬史観

徳川幕府は近隣諸国と互いの立場を尊重し、道理に基づいて問題解決していたようだが、欧米の文化支配下に転じた明治新政権は、特に長州人脈は他国の領土でもなんでも手段を選ばず強奪することしかなかったようだ。外見的には西洋の文化、秩序を取り入れても、本質的には中世の弱肉強食に回帰し、現在も司馬史観をみればわかるように未だに事実に目を背いて何も変わろうとしない。
オールジャパンで無責任な国益主義に熱狂すれば、いずれつらい現実がやってくるだろう。
小役人と威勢のいいことしか言わない政治家とメディアという無責任体制の中、外務省の言い分を鵜呑みにすれば、また・・・・・ことになる。

2012年8月18日 (土)

竹島問題で日本国際司法裁判所に提訴

大本営発表 ┐(´-`)┌

総無責任国家がまた暴れ始めた。

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